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和装美に魅せられ半衿に捧げた一生 vol'1

2016/01/20(水)

shachou株式会社衿秀・ローズカラー株式会社 

この2社の代表取締役 志野稔社長の想いを綴るブログです。

題して「和装美に魅せられ半衿に捧げた一生」

その生き方を

その想いを   

紹介して参りたいと思います。

 

 

 

賀以根  ~賀(よろこび)を以って根がはる~

北朝鮮・海州から七十年前、京都に帰って参りました。

中学一年から衿問屋「今江孫三郎商店」に住み込みで丁稚奉公に入り八年間お世話になりました。

二十二歳で独立しましたが、衿問屋では育てていただいた親方に迷惑が掛かるので当初は帯〆のみで営業いたしました。

 

「志野さん、ガーゼの肌着はないか?」

ご注文いただけるならもちろん創ります!と言ったものの実に大変な仕事でした。当時は一枚百八十円程の商いです。

九州佐賀市武雄から十名、住み込みで京都に迎え、母・八重さんに教えてもらい、私も裁断えお仕上げを毎日夜遅くまで働きました。

他店より生地良し、仕立て良し、爆発的に売れましたね。

若かった私。仕事があり、またそれを必要としてくださる事にとても喜びを感じました。

 

そして問屋業から製造業へ

和装下着メーカー「栞和装」を兄・昭八郎社長が立ち上げ、私が和装小物製造卸「株式会社 衿秀」を創業致しました。

当時はまだ和装小物の専門店様が各地にあり、得意先はほぼ専門店様のみ。呉服店様はほんの少しでした。

 

衿と足袋は白い方が良い(宇野千代さん)

化繊(ナイロン)が出回り始め、怖い事に値段は安く、強くて長持ちするという事でそれまで色々な半衿がありましたが、白一色になってしまいました。色衿を創っても売れなくなり、買っていただけるのは鳥取の西尾宗祐さん(持ち回りの小物屋店主)だけ。

西尾さんは、着物は衿元できまる。中年以上の女性が白衿なんてとんでもない。しわ、しみが目立つではないか、という考えのお方。

西尾さんに心酔していた私は、なんとかして色や柄の半衿をもう一度広めたい・・・と考え出したのが「ローズカラー」でございます。

丁度その頃大正ロマンが流行し一気に色半衿が売れ出しました。

その後、山梨の甲府で別会社としてローズカラー株式会社を立ち上げ、日々丁寧なもの創りに励んでおります。時代と共にローズカラーも進化し、近年発表させていただきました新ローズカラー「き楽っく」もありがたい事に大変ご好評をいただいております。

 

衿から生まれた帯揚・・・帯〆・・・花緒・・・バッグ・・・

衿秀は受け売り問屋ではなく、生産者(メーカー)として、販売に携わる者全員でもの創りをする会社です。銀行の方に少々商品の持ち過ぎですねと言われますが、それも衿秀の特長だと信じております。

専門店様から呉服店様へと販路が変わりましたが、衿秀は衿屋として太物は触らず、将来も小物専門店として皆様に生きた商品を提案して参ります。

全産業中、先の見通しは最下位とされています。十年後は半分になるのは確実です。ですが、この世界に誇る美しい和装文化は決してなくなる事はありません。この先、生き残るには。それは文頭にありましたように仕事に喜びを感じ、嵐にも耐えられる深い根をはる事。幹は大きくしない事ではないでしょうか。

 

衿秀四十名、ローズカラー二十五名。生き残った果実は少なくとも、とても美味しいと信じ、この商売一筋に喜びと誇りを持って全員元気で頑張って参ります。

 

 

 

株式会社衿秀 代表取締役社長

志野 稔

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